絶対「一」の尊厳性

差別することでの存在の明確化。
「似たもの」はいくらでもあります。
しかし「自ら」は唯一つの存在です。

「斬る」という行為一つとっても素人には見分け難い。
斬るという動きにおいては等しい。
しかし「順序をなぞるだけ」と「型どおり」では質が異なります。

型に身を投げ込む、型に溶け込む、
斬るという「体の働き」と、「剣」という別個のものが
主客とも一色になる。
果ては空じるほどになる。

「一緒」や「平等」は対比による価値です。
「同時」や「同じ」はそれ自体です。

動けば型どおり。
一か八かのない「順序」と「型」の差別。

岩間で完成した「大先生の合氣道」と、理のない独り善がりの「っぽいもの」。
まだまだ”合氣道”という門の前にすら立たせて頂いておりません。
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七花八裂

水と油を混ぜてもすぐにわかります。
似て非なるもののたとえです。

白という色を否定するために白以外の色を使うのは相対的な認識です。
力を否定するために脱力するのか?
否。

力を否定するために力自らを使う。
粉々に、痕跡も残さぬほど、分解する、分散する、一つ処から抜いていく。
執着をしない、無執着という心情すら留めない。

白銀の器の上に白銀の雪を盛る。
一見どちらも引き立っていないかのような絵です。
力は要らないのではなく要らなくなるのです。
運動という現象がある以上そこには確実にありながら感じさせない。

「わしはただそこに立っておればいい」
別次元であり俗人には理解しがたい境地です。

奇数と風流

割り切れずに無限な奇数。
そこが風流であり面白みです。
何においても割り切れる合理性だけでは趣きはありません。
不合理、矛盾、この面白みはあれど、
ことさらにいびつを求めるのは悪趣味です。
風流を求めつ、しかし囚われればかえって不風流です。
型破りの妙味。規格外れ。
しかしそれは型なり規格なりを修めたうえでできる無軌道の軌道です。
自由に見えて押さえるべき点は押さえている。模倣ではない。求めてなお囚われない。
何も知らない塵のような権威、得意は我流と言えます。

みちのく

道には「関(かん)」という狭い門があると言います。
地上で言えば昔は関所、屋敷なら玄関を通らないと奥座敷へは行けません。
いずれにせよ易々とは行けないということです。
越えなければ奥など解りようがありません。

道という以上自我を出しては通ることは許されない「関」があります。

迷いから悟りへの飛躍は容易ではありません。
相対から絶対へ。
”みんな一緒”へ。

答えが複数でも支障がない。
固体、柔体、流体、気体。
相対的な認識を超えます。
比べるからこその表現。 固い稽古とは? 気の流れの稽古とは?
迷うだけで答えなど出るはずがありません。
「違う」ものではありません。だから「段階的に」と教わります。

因果一如

努力や稽古をしたからいつか上手になるという先の話ではありません。
サボること、正しくない稽古をしかねないのに、
良いものに触れる縁を得たこと、
それ自体が有り難いことです。
良い稽古ができる縁を持ちながらそれができないのはそれ自体一つの罰の形です。

権威やブランド価値の確立。
そんなものを目的とするならどんな稽古も役に立ちません。
人知れず密かに修練を積む。
目立たず、際立たず、認めて欲しいというもの欲しさがせっかくの稽古をマイナスにします。
エゴ的行為。エゴを満たす行為。
これを信心の如く言葉で飾り美化するのは醜悪です。