型を学ぶ

一分一厘狂っても技にならん。
”何”から狂ってはいけないのでしょうか。

3日習ったら3日分教えればいい。
「私なんてまだまだ。」は言い訳、ということになります。

理屈は後からついてきます。武道である以上動けてなんぼです。
私は「貰いっぱなしじゃ泥棒だぜ。」と10年以上前に言われました。
言葉のまま受け取れば
”自分だけ強くなれば、知っていれば、それで良い”
という価値観が芽生えることの戒めだと思ったものです。

受け取ったままだと原形のまま保存されます。
追体験しかねる相手にそのまま伝えることは、必ずしも満点の対応ではありません。
その相手に”合わせた”所作と言葉を選び、「自分の言葉」として適切に変換して伝える。
ただし”何も足さない 何も引かない”。
さも教えであるかのように創るなどもっての外です。
「角のドーナツ屋さんの壁の色みたいな」では”角のドーナツ屋さん”を知らない人には伝わりません。

仮に伝えることを前提として受け取るならば、稽古に臨む姿勢も次元も変わります。
教える立場というのは容易ではありません。
弟子の3倍稽古するというのも最もです。
伝えるためには出来なければいけない。理解しないといけない。
良いと悪いの判別をする指針はどこにあるのでしょう。

最新である岩間流合氣道の固い稽古は”お堅い稽古”です。
失伝してはいけないものと思考します。
見聞の狭い己でも、”自由”と”勝手”の区別はつきます。

合氣道と合氣道っぽいものの境界線はあるということです。
説得力とは洗脳ではありません。
俗に堕ちないためにも、絶えず大先生を見て精進が必要です。

「その道場がどんだけのものか弟子見りゃわかる。見てみろ。俺の弟子は皆強ぇぞ。」
憧れの極みです。
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なま

道場は山の上にありますので春になると虫が発生します。
越冬した輩が這い出てくるのですが、
普段寡黙で自分からは主張を面に出さない弟子が稽古後に、
「ああっ!先生!カメムシの死骸を踏んでしまいました!」と。

稽古前に掃き清めた際はいなかったので、
「生きてたやつ踏んづけたんじゃねえの?」と問いますと、
「いや、乾燥していたらしく体が割れてます!」と。
わりと冷静に分析しています。

普段感情の起伏が小さいだけに素直な態度に少し笑えます。大事件なのだなと。
「あああああっ!!ちょっ・・・ちょっと臭いっ!!!」
いちいち狼狽えるのも良い感じです(-∀-)

風度

人に教える、伝える場合、自身の自己向上に尽力するのは当たり前です。
しかし教える側に回ると多くは自身の不完全に目を向けません。つまり努力を怠ります。
弟子も気づきます。
「良いのか?」と疑義が感じます。
すると教える側は「自分の言うことを聞かなくなってきた」と思い込みます。
ここで師匠離れと同時に弟子離れができない、
”弟子を捕まえておく”という既得権益にすり替わった師弟の関係が生まれます。
入門当初や未熟な時期を一つの基準にして、
「粋がっても、生意気言っても、所詮自分の弟子」
と思い込む。
親離れの速さに子離れがついていけない悲しさです。
良い関係を持てば「自身の気づかない自分」に目を向けさせてもらえ、自分のいたらなさに思いが至ります。
この人ならと思える”なら”に出会っておきながら、その”なら”が全く身につかないまま5年目の始まりです。

前提 その②

竹刀でのルールある試合では、面、小手、胴ときれいに打ち込んで一本です。
ゆえにその枠組みの中でテクニックを磨き、勝つすべを勉強します。
それは競技体系としての一つの形です。
門外漢から見ても厳しく険しい世界であることは容易に想像がつきます。

標準的な日本刀の重量で1.2キロ以上です。
その剣を振れば剣尖にはその6倍の遠心力がかかります。
人の骨肉を断つには何の苦労もいらない勢いが刀身に乗るのです。
わずかに触れるだけで皮肉は斬れるということです。
鍔越しに拳をわずかに削っただけでも、勝敗に重大な影響を与えます。
体のどの部分であろうと、斬ってさえしまえば著しく戦力を奪います。
技量の巧拙のみでは計れない、不慮の事故の恐れもあります。

「合氣道は皮一枚惜しむ」

我々が己を磨く土壌は前述の前提があります。
しかも対複数で、ルールはありません。

前提 その①

見学や体験入門者の中には
「相手の力を利用する」「気で飛ばす(触らないで倒す)」
と言った幻想や疑問を抱いてくる方がいらっしゃいます。
悪意は感じられませんし、思い込み自体は罪ではありません。
そう思うに至らせた喧伝材料は世に溢れていますが。

「剣術です。」
と答えます。
もちろん稽古方法や理論、哲学、成り立ち、全てを網羅する答えとは思ってはいません。
あくまで当道場における取組、
私が思案し続けている輪郭として、
「合氣道とは?」との問いかけにそのように応じています。