奇数と風流

割り切れずに無限な奇数。
そこが風流であり面白みです。
何においても割り切れる合理性だけでは趣きはありません。
不合理、矛盾、この面白みはあれど、
ことさらにいびつを求めるのは悪趣味です。
風流を求めつ、しかし囚われればかえって不風流です。
型破りの妙味。規格外れ。
しかしそれは型なり規格なりを修めたうえでできる無軌道の軌道です。
自由に見えて押さえるべき点は押さえている。模倣ではない。求めてなお囚われない。
何も知らない塵のような権威、得意は我流と言えます。

スポンサーサイト

みちのく

道には「関(かん)」という狭い門があると言います。
地上で言えば昔は関所、屋敷なら玄関を通らないと奥座敷へは行けません。
いずれにせよ易々とは行けないということです。
越えなければ奥など解りようがありません。

道という以上自我を出しては通ることは許されない「関」があります。

迷いから悟りへの飛躍は容易ではありません。
相対から絶対へ。
”みんな一緒”へ。

答えが複数でも支障がない。
固体、柔体、流体、気体。
相対的な認識を超えます。
比べるからこその表現。 固い稽古とは? 気の流れの稽古とは?
迷うだけで答えなど出るはずがありません。
「違う」ものではありません。だから「段階的に」と教わります。

内田師範講習会顛末 於 水戸合氣修練道場

S0062373_compressed.jpg  DSCF2293_compressed.jpg
 
DSCF2320_compressed.jpg  DSCF2359_compressed.jpg

DSCF2277_compressed.jpg  DSCF2321_compressed.jpg

DSCF2249_compressed.jpg  DSCF2254_compressed.jpg

過般、茨城県水戸市にて行われた岡山合氣修練道場長内田師範の講習会に参加して参りました。
この時期の参加は久々で感慨も一入でした。
全国各地から頼もしい道兄道友諸氏が集い、合氣道に真摯で正直な技と術の世界を堪能致しました。
同じ方向を見ている心強さに加え、目を離すと追えなくなる速度の進化。
同じ方向を見続けざるを得ません。

幾分の1かでも弟子に還元できればと思ってはいますが。
なにぶん途上に乗っているかも怪しい私です。
極力誤魔化しのない、稽古でしか到達しない、王道を見据える所存です。

春らしくない快晴と暑さに、喉を潤しながらの語らいも弾みました。
この集まりの末席を汚すことのできる喜びを分かち合える日を目標に。

時間は前にしか進んでいません。
停まるということは、遅れるということです。

DSCF2309_compressed.jpg


なま

道場は山の上にありますので春になると虫が発生します。
越冬した輩が這い出てくるのですが、
普段寡黙で自分からは主張を面に出さない弟子が稽古後に、
「ああっ!先生!カメムシの死骸を踏んでしまいました!」と。

稽古前に掃き清めた際はいなかったので、
「生きてたやつ踏んづけたんじゃねえの?」と問いますと、
「いや、乾燥していたらしく体が割れてます!」と。
わりと冷静に分析しています。

普段感情の起伏が小さいだけに素直な態度に少し笑えます。大事件なのだなと。
「あああああっ!!ちょっ・・・ちょっと臭いっ!!!」
いちいち狼狽えるのも良い感じです(-∀-)

みちのく合気道菅原道場2017演武顛末

先日、毎年恒例の伝統的催事である日高火防祭にて、
合氣道仲間が師範を務める年少合気道場の演武が行われました。
例年世話になっているカメラマンが今年は不在につき、
本番の写真は撮れませんでしたので、準備中の一場面を紹介します。

DSCF2192.jpg DSCF2196.jpg DSCF2204.jpg
DSCF2230.jpg DSCF2190.jpg DSCF2206.jpg
DSCF2200.jpg DSCF2204_20170501234818c11.jpg DSCF2238.jpg


待機場所にて、出演するだけで黄色い声援が飛び交うという大人気のちっこい女の子が、
前かがみになりおでこに杖をくっ付けて支えにし、それを中心にぐるぐる回っています。
運動会などで野球のバットで行う似た競技がありますが・・・。
散々回って歩き始めると笑顔でフラフラです。
私が「オエッってなんねえが?」と聞くと「気持ぢわりぃ」と。
「面白ぇが?」ときくと「わがんね」と。
これでもかと言わんばかりの笑顔です。声援が飛び交う理由を垣間見ました。

このカオス状態がこのコミュニティ最大の魅力です。
演武は一生懸命が伝わり気持ちの良いものでした。
テレにも負けずに頑張ったと思います。