主体性

自己の置かれた場所で隙なく精一杯やる。
自己を投入して愛情を惜しまなければそこかしこに意味を見つけることができます。
生きがいを、与えること、味わうこと、耐えること、とされることがあります。
つまり随所作主立処皆真という言葉のままです。

没入して稽古し、疑い、修正し、また確認する。
終わりなき愉しい行いです。
答えは示されているのに、本質を見せて頂いているのに、見えていない事の自覚。

明国の末に興った『六然』
自己にとらわれず脱けきる
人にはいつも和やか
事あれば活気に満ち
無事なれば心澄み
得意の時はあっさりと
失意の時も落ちついて

我々が稽古を重ねるうえで余計な力を抜いていく一つの心持です。
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前提 その②

竹刀でのルールある試合では、面、小手、胴ときれいに打ち込んで一本です。
ゆえにその枠組みの中でテクニックを磨き、勝つすべを勉強します。
それは競技体系としての一つの形です。
門外漢から見ても厳しく険しい世界であることは容易に想像がつきます。

標準的な日本刀の重量で1.2キロ以上です。
その剣を振れば剣尖にはその6倍の遠心力がかかります。
人の骨肉を断つには何の苦労もいらない勢いが刀身に乗るのです。
わずかに触れるだけで皮肉は斬れるということです。
鍔越しに拳をわずかに削っただけでも、勝敗に重大な影響を与えます。
体のどの部分であろうと、斬ってさえしまえば著しく戦力を奪います。
技量の巧拙のみでは計れない、不慮の事故の恐れもあります。

「合氣道は皮一枚惜しむ」

我々が己を磨く土壌は前述の前提があります。
しかも対複数で、ルールはありません。

前提 その①

見学や体験入門者の中には
「相手の力を利用する」「気で飛ばす(触らないで倒す)」
と言った幻想や疑問を抱いてくる方がいらっしゃいます。
悪意は感じられませんし、思い込み自体は罪ではありません。
そう思うに至らせた喧伝材料は世に溢れていますが。

「剣術です。」
と答えます。
もちろん稽古方法や理論、哲学、成り立ち、全てを網羅する答えとは思ってはいません。
あくまで当道場における取組、
私が思案し続けている輪郭として、
「合氣道とは?」との問いかけにそのように応じています。


皇弥栄

すめらぎいやさか

自分で蒔いた種

謙虚は美徳です。
追い風吹く主観的幸運時に破局の種は蒔かれます。
不幸に際し不幸が始まるのではなく、好調の時に破局の兆しが起きます。

恵まれた主観的幸運をいい気になり、欲しい侭にすれば、
源泉は枯渇し、縁の糸すら切れます。

自分の分は決まっている、と取れば、
「程を知る」「足るを知る」に留まります。

それ以上に徳を積むことが肝要です。
それも人知れずが良い。
人知れず積んだ徳が、型として、技として、縁として、最後は残ります。